川投げ野郎の話の前に。
難しいことができない逆算から生まれたシュールな作品
私が企画したゲームで作られたゲームの大半は「プログラマーのhideくんが作れる簡単なもの」が大前提となってます。元々OB PROJECT自体「ゲームが作りたい→ならすぐ作ればいいじゃん」が発足理由なので。
なので、こういうゲームが作りたかったとかではなく「作れそうなシンプルなゲームにストーリー足したり、なんか変なシチュエーションにしたり」という前提で全部企画してます。
なので、私の変な企画をどうゲームにするか、も重要な要素というか。ゲームデザインはほとんどがhideくんなので。
そんなわけで川投げ野郎は末期のゲームだけど、企画は初期。なのでマシン語が活用されてたりします。ガキ落ち野郎はゲームデザインも私なんだけど、むしろ末期に近い企画。
技術的にできないことならば仕方ないけど、UI周りは割と指摘してました(例えばだけどBボタンで前の画面に戻れる仕様なのに、特定の場だけ何故かできない、とか)。最初だいたい言い訳をされて押し切ろうとしてくるので、UIに関してだけは頑強に言ってた気がします。
あ、でも技術的に無理そうでもどうしてもダメな時は言ってた気はするけど、川投げ野郎に関していうと多分ガキ落ち野郎と同時期開発なので、そちらに全力投球という感じで、川投げ野郎はその余力だったんだと思います。浅いゲーム性を補うためのストーリーというのは割とOBの基本路線だったけど、そういうのもなく明らかに作りが甘いので。
光るゲームデザインのセンス
まあ「完成させること」が前提の初期作や強引に完成させたようなゲームが未熟だったり作りが甘いなんて当たり前の話なので、その大前提は除外します。とその前に「完成させること」について説明。
初期作品は「作れるものを作る」だったので、とにかく完成させるために簡単なゲーム内容が多いです。川投げ野郎の企画も「人を川に投げ入れて橋を作って渡る」という一行だけな気がする。
なので、それをどうゲームにするかという部分で「車と人が右からくる」「車に当たるとタイムロス」を軸に作られてて、車と人間が歩道を走ってるとか、速度が一緒とかそういったことをないことにしてるのもそうだけど、ゲーム内容自体も80年代テイスト。
これはガキはね野郎もそうだけど、信号がいつまでもかわってて、巨大な横断歩道があるかのような世界観になってるけど、そういったことを気にせず「信号が赤の時はガキが渡ってくる」と「車に当たると燃料が減る」と「燃料が0になるとゲームオーバー」「車に当たった時燃料が0になると車が大破してゲームオーバー」と、自分ができそうな部分をピックアップして再現されてるので、それがまたおかしな世界観になってて味になってる。というの好意的解釈。
でも人って数作ると成長するので、たくさん完成させるという方針は間違ってなかったと思う。川投げ野郎と違ってガキはね野郎は全然違う企画だったと思うので。
川投げ野郎はストーリーがあった気がするけどゲームにストーリーは入ってなかったです。あとコンティニューなくてエンディング辿り着けなかった。
「橋が遠いから」とかそういう理由のストーリーなかったっけ。
音楽がたくさんあるのも「できる全てを詰め込んでちょっとでも作品のクオリティを上げるため」だったと思います。それこそ無駄に説明書が充実してて小冊子状態になってたのと同じで。投稿とかもたくさんあってそういう時代だったんだろうけど、全国にユーザーが居たことが我々の幸運でした。まあ私が初期NVメンバーだったから(というかボスの高校の同級生とかを除くと私が初のスタッフだと思う)自分のコーナーとかで宣伝してたとかもあるのかもしれないけど(覚えてない)
どの作品も「ここをこうしたい」みたいなのが無限にあって、でも内容がどうのじゃなくて「わざわざそれを作り直す時間が惜しい」ので、もし作るなら私が一人でJavaScriptで作るとかになるんだろうけど、それもしないと思う。当初の想定仕様とか企画とか覚えてたら書くんだけどそんな昔の話覚えてるわけもなく。
ところで川投げ野郎。3面をどうしても越えられない。キーボードで遊んでるからダメなのかな。マップが複数あることに驚いた。